本当の幸せってどこにあるの?

苦悩からの自己解放

あなたは今幸せですか?

こんなふうに聞かれて、ドキッとした人いませんか?

「「はい幸せです!」と即答できる人、「うーーん」と悩む人もいるでしょう。「そうでもない」と答える人もいるでしょう。

実はその差はいったいどこにあるのでしょうか。

幸せの理想像

よく耳にする幸せの理想像や条件、それは、、、

  • お金があること?
  • 学歴があって、仕事の成功を得ること?
  • キレイな自分でモテモテになること?
  • たくさんのブランド物に囲まれること?

もちろん、これらのことは全てが満たされていればいるほど、幸せかもしれません。

しかし、全ての富をもった人でも、実は恐れ、不安、疑いで心が疲れ、病んでしまいます。そして、欲望は後から後から湧いて出てきます。追いかける道は長く苦しいものです。

幸せ = 欲望

と定義してしまうと、幸せを深く追求すればするほど、長く険しいものに、そしてキリがありません。

「幸せの理想像」に囚われていると、目の前にある多くの「幸せのカタチ」を見逃すことになるのです。では「幸せのカタチ」って一体なんなのでしょうか。

人それぞれの幸せのカタチ

人の幸せのカタチがそれぞれ違う、それは好きな食べ物、好きな異性の好みもみんな違うというところに似ているなと思います。

がっちり筋肉質が好きという方もいれば、ほっそりしてる方が好きという方もいます。

がっちり好きの人に

「ほっそりしている人の方がいいに決まっている」

そんなことを言われるのは余計なお世話です。笑

その人が持つ価値観、考えで幸せのカタチを作って行けたらいいですよね。

実はすぐ近くに転がっている幸せの種

当たり前なことが当たり前でなくなったとき、人は「あのとき幸せだったんだな」と気がつくのかもしれません。

  • 今元気でいられること=生命のありがたさ
  • 当たり前のようにいる家族
  • 変わらず立たずんでいる木、自然
  • 日々穏やかに過ごせる平和
  • 時間、教育

失ってからそのかけがえのなさに気付きがちな私たち。

今、この瞬間にも「幸せの種」が周りに溢れている、そんな些細なこと普段当たり前に過ごすことができていることに感謝、幸せを感じることができたら、気がつく事ができたら、こんなに素敵なことはありませんね。

隣の芝生は青い

それでもやっぱり、「隣の芝生は青い」ということわざがあるくらい他人がよく見える、

青々として見えます。私も青々と見えている時期がありました。

インスタグラムのいいねの数、楽しそうな投稿、人生満喫している感じの投稿、みんなそれぞれいいことばかりを載せていることはわかっているけど、、、けーーどーーー!!!!

そんなものを見ては、「あーいいなー。なんで私は、、、」とモンモンとする日々。他人と比較をしてしまうのは仕方がないこと。でも、幸せのカタチは人それぞれ「十人十色」

私は私という考え方を大切にしていきたいですね。

真の幸せとは

「私は私」という考えがわかってきたところでところで、あなた自身に宿る美しさについて考えてみましょう。どうしても人と比較してしまう、それは仕方がないことですが、実は、探しているものはすでに自分の中にあるということに気づき、信頼する。

美しさ、安らぎ、幸せ、喜び、思いやり、変化する力

あるがままの「あなた」という花として美しく生きる。

そして、他の花になる必要はないし、なれないのです。

昔の私、そのころの私の幸せは、何かをやってもらう、イベントごとはどこかへ出かける、当たり前のことには特に目を向けず。

そんなとき、いつも一生懸命に家のことをしてくれていた、お母さんが癌で入院することになりました。今まで当たり前だったことは全て覆され、母を心配しながら、家のこと、自分のこと、仕事をこなす日々。母が元気だったとき、当たり前の日々はとても幸せで溢れていたんだなと気が付かされました。

私は今日も元気に仕事へ行くことができ、お昼ご飯も美味しく食べられ、家族も元気です。

そんな当たり前のことに感謝をして、日々の当たり前な奇跡に気がつき、ワクワクしながら充実した今を生きる

自分らしい花の咲かせ方を知り、幸せの種が周りにも溢れていることに気がつく。

そんな生活をしていきたいですね。

コメント

タイトルとURLをコピーしました